直心影流百錬会設立趣意書(一部)

 一月八日ニハ一橋ノ道場ニテ法定稽古ノ帰途 私宅二来ラレ遂二永眠セラルル事トナッタ 一橋六ヶ年間ハ 主トシテ剣道生活デアリ 山田先生トノ奇縁ニヨリ 先生ノ念願デアル 直心影流ノ道統ヲ続ケ 後世二伝ヘル大任ヲ引受ケ 終戦後断絶ノ後 断乎先生ノ御念願ヲ 実現スルニ至リタル 

大西先生語録(選集)

◇ 清明心を保持し、自然な生活をすることが剣道の要旨であり、理非を決断して邪をさり、すみっきたはりのある心で事に当たって所信を断行する勇気を養うことが剣道の本筋で、生死を賭けた真剣の修業で、勝を予期せず、負けを思わず、無為活達縦横無方の大勇を体得するのが剣道修業である。

◇ 剣道は、「后来の習態を除き、本来清明の恒体に復し、上は神明の至徳、下は勇士の要道によって」日本人伝統の精神を発揮する道である。

◇ 人が生死の巌頭に直面する、即ち剣道の修業は生死のぎりぎりの岐点に立ち、白刃を振って生死を決する際、心気を充実して必死三昧の境地に入り不借身命の活動をなすとき、偉大なる大我が発動して一呼吸の間に敵を斃す。人生生活の真実充実の極致に直面して発動する叡智こそ剣道の練りどころであると自覚して修業すべきである。先ず神前に座し反省し心境を錬磨することを深く期し、稽古終わりて再び神前に座し反省し心境の向上を期すと云うのが本則である。

◇ 剣道は道場だけの修業ではない。日常生活全般が剣道である。常に大我の心を基として生我を棄て、心境の向上を期していく。平常が道場であり、道場が平常である。戦場が平常であり、平常が戦場である。覚悟を堅持し、平素が臨終であり、臨終が平常であるなら、如何なる変事に遭遇しても平然と対処できるはずである。

◇ 剣は一身一家を治め、治国平天下の大道であり、剣は英雄の学である。人事を盡して天命を待つ処世の大道である。名利、金銭に動ぜず、とらわれざる心境を作り所信を断行する不動積極心を錬成する道である。事に臨み、精神の常を失わず心の動揺を来たすことなく、適時適切なる手段を講ずる活用大なる道である。

◇ 事に臨んで心を動かさぬ様心懸け、剣道稽古の際、刺撃の間に精神の動揺、気合の喪失せぬように努め、進んで日常生活に際して如何なる困難にも敢然として喜びを迎えるように実践する。生死の巌頭にに立ち、白刃を振りかざして果たして心気の転動することなく、平生と少しも変わらぬ心で対処出来るかと反省工夫を重ねて行くと、何時とはなく不動の境地が打ち開けて不動心を体得するものである。

◇ 剣道は一生涯の修養道として日常生活を立派にし、平常即道場、道場即平常を油断なく続行し、「人生は一本勝負」であると悟り、悔いなき人生を築き上げ、「生死一如」の悟りの下に必死三昧の覚悟で難関を突破し、成功の彼岸に達する。「不借身命」の覚悟にて一生涯を通じて、剣道を修行していくことが肝要である

◇ 剣の修業は不動心こそが究極の目的であり、そのためには平素の行いが正しくなければならない。そしていざというときに臆することなく天命を全うすることこそが生きた剣道である

◇「刺し違えの真剣勝負」この気分を道場外でも活かして行けば、如何なる大事業も果し得ぬ

ことはない。