百錬会と黒瀧山不動寺

 幕末、男谷信友先生の直心影流道場の五傑の一人に天野八郎(彰義隊隊長)がいました。不動寺のある南牧谷で生まれた天野八郎は、少年時代から黒瀧山に登り不動寺第52代住職・禅棟和尚のもと心胆を錬っておりました。

 東京商科大学の学生であった大西英隆先生は、南牧村出身の同門生から天野八郎のことを聞き強く関心を持ち、大学の剣道部員等と黒瀧山に籠り天野八郎の修行した竜神の滝での水行三昧、一週間の断食行も合わせて猛修行、剣の妙理を感得された。

 後年、百錬会を創設されると、西尾先生、犬竹先生、赤尾先生はじめ多数が山籠を行い、法定百本稽古に挑む稽古場となり、十日間の百本稽古(法定千本稽古)を行う猛者も現れた百錬会所縁の寺院であります。

 

 黒瀧金躰不動明王は、激しく燃え上がる大迦楼羅焔を背に眼光鋭く右手に宝剣、左手に宝綱を持ち大盤石に立ち、こんがら・せいたかの二童子が脇立。人々の悩み、苦しみの気害を焼き清め、洗い清めて現世人間界・自然界の平安を願いとし、消災吉祥・延命長寿・萬物元気・不動体(不動明王のような強い体)・不動心・開運・火伏せ・・・

 灼かな霊験ありと信仰を集める秘佛不動明王。悪や災いを切り砕き、人々に気力と安らぎの心を授けます。